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【東北地方廃墟めぐり】”雲上の楽園”と呼ばれた松尾鉱山アパート群をゆく

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かつて、東洋一の硫黄鉱山岩手県岩手郡松尾村(現在の八幡平市)にありました。

その名は、松尾鉱山

当時最先端の設備を備えた鉱山都市は、「雲上の楽園」と呼ばれました。

人々の理想郷がそこにはあったのです。

しかし、理想郷がいつまでも続くことはありませんでした。

時代の移り変わりと共に、松尾鉱山は閉山。

「雲上の楽園」は失われてしまいました。

 

そんなかつての理想郷跡には、今なお当時のアパートが廃墟化して残されています

一体どんなところなのでしょうか。早速訪れてみましょう。

※「田老鉱山」に続く、東北地方廃鉱山シリーズ第二弾です。

 

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まず目に飛び込んできたのは、小高い丘にそびえるアパート群。

もちろんすべて廃墟です。

緑が丘アパートと呼ばれ、松尾鉱山を支える人たちが多く住んでいました。

(正式名称は緑が丘団地か?)

 

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コンクリートの要塞とも言うべき不気味な姿の建物群。

かつての理想郷は無残に朽ちていました。

早速内部に潜入してみましょう。

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廊下にあたる部分です。外観と同じく、コンクリートむき出しで無機質感抜群。

50年前までは現役のアパートでした。

 

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それでは、松尾鉱山の栄枯盛衰を振り返ってみましょう。

このエリアから硫黄が産出することはかなり昔から知られていたようで、1766年(寛政8年)の書物に、硫黄の調査願いに関する記述が見つかっています。

1882年(明治15年)頃、露頭※の発見を受け、1888年明治21年)から小規模な採掘が開始されました。

※露頭:岩石や鉱脈の一部が地表に現れている場所。

 

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1914年(大正3年)、松尾鉱業(株)が設立されると、硫黄の採掘と精錬が本格的に始まります。

1921年(大正10年)からは硫化鉄鉱の採掘も開始。

一時は国内需要の約8割をも占め、最盛期には精錬硫黄約10万トン(昭和42年)、硫化鉄鉱68万トン(昭和41年)を生産

瞬く間に「東洋一の硫黄鉱山」と呼ばれるまでに成長しました。

 

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しかし、栄光の時は長くは続きませんでした。

日本は高度経済成長期に突入し、エネルギー転換や大気汚染の規制等により、硫黄の生産は苦境に立たされます。

昭和40年代半ばには、石油精製の過程で発生する硫黄の生産急増に押される格好で、国内の硫黄鉱山はすべて閉山に追い込まれました。

松尾鉱山も例外ではなく、1972年昭和47年に閉山となりました。

 

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元々、この場所は、標高約900mの無人の山間でした。

それが、松尾鉱山の発展と共に、鉱山町として急速に栄えることになります。

1920年大正9年)では1132人だったのが、最盛期の1960年(昭和35年)には1万3594人に達しました。

太平洋戦争中には、朝鮮人労働者も投入されました。

集合住宅のほか、病院、小・中・高校、郵便局、芸能人を招いて公演を催す会館など、当時の日本における最先端の施設が完備され、「雲上の楽園」とも呼ばれました。

 

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しかし、理想郷がいつまでも理想郷であり続けることは叶いませんでした。

閉山の3年前、1969年(昭和44年)には、松尾鉱山の全従業員が解雇され、ユートピアは失われました。

50年という月日は、かつての理想郷を朽ち果てた廃墟に変えてしまうのに十分でした。

 

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一室にお邪魔しました。

崩壊が進んでおり、何も残ってはいませんが、かつてここで生活した人々の暮らしに思いを馳せるには、十分と言えるでしょう。

 

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ひん曲がっています。

八幡平は豪雪地帯。雪の重みは、建物にダメージを確実に蓄積します。

いずれ完全に崩壊する時が来ることでしょう。それほど遠い未来ではなさそうです。

 

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洗い場。

当時、家事をしながら見える景色は、松尾鉱山の繁栄、すなわち日本の明るい未来そのものでした。

 

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八幡平の豊かな自然が顔を覗かせています。

冬には真っ白に染まるのでしょう。

 

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あれも同じく廃アパートです。

今私が立っているエリアが世帯向けだったのに対し、独身向けだったようです。

 

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本当の幸せ教えてよ、壊れかけのラジカセ君。

 

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静かな空間を歩きます。

私が訪れたのは夏場。冬は雪が入り込むに違いありません。

 

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発射台のようにスキー板が設置されていました。なんの儀式なんでしょうかね。

右の写真は、ある一室の写真ですが、ダストシュートが付いています。

設備の一つひとつに、当時の最先端が伺えます。

 

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大浴場の脱衣所。

ロッカー的なものが暴れていました。

しかしロッカー自体は意外にもなかなかなかなかきれいです。

 

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廊下にも飛び出していました。

 

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外観。

 

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さて、同じ敷地には、学校跡もあります。行ってみましょう。

「いらっしゃい」

どうやら私は招かれざる客ではないようです。お邪魔します。

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松尾鉱山中学校です。

松尾鉱山の閉山と共に廃校となりましたが、その後、盛岡大学の関連施設「生活学」として生まれ変わり、1994年(平成6年)まで使用されていました。

 

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生活学園」は、盛岡大学八幡平校舎という位置づけで、研修やクラブの合宿に使用されていたようです。

 

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この校舎、実はもう存在していません。

私が訪れた2012年(平成24年)には健在だったのですが、その翌年から翌々年にかけて、解体されてしまいました。

 

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そんなわけで、もう二度と実物を見ることはできません。残念です。

※廃アパート群は(盛岡大学の施設ではないため解体されず)未だ健在です。

 

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懐かしの机、そして椅子たち。

感傷に浸るには十分なアイテム。

 

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哀愁を感じる椅子の置き方。

しかし背後の黒板の落書きは笑ってしまうくらい卑猥。

でも本当にテストに出るなら猛勉強するけどね。

 

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木造の二段ベッド。頑張ればまだ使えそうですね。

 

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廊下。

こちらの施設は、平成の初めまで使用されていたということもあり、アパート群よりは頑丈な感じがしますね。

 

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色のない空間に現れたカラフルたち。

 

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とても薄暗いフロアもありました(たしか2階)。

なかなかに不気味ですな。バイオハザード感エグし。

 

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藤沢さとるという人に関するらくがきがたくさんありました。

しかしこの落書きを拝むことももうできません。

藤沢さとる君がホモかどうかは、闇に葬られてしまいました。

 

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隣には体育館がありました。赤い屋根が特徴的ですね。

 

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薄暗いピロティのような空間を抜けていきましょう。

壁にはたくさんの落書きが。

 

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体育館です。開放的な空間が広がっています。

バンドのMV撮影とかに使えそうですね。

 

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ぽつんと残されていたピアノ。

誰かが持ち込んだのでしょうか。

その音が八幡平の地に響くことはもうありません。

しかしかつての繁栄は、人々の記憶にしっかりと刻まれていることでしょう。

 

さて、いかがでしたでしょうか。

生活学園の姿はもう見られませんが、緑が丘アパートは、朽ち果てながらも、未だ健在。

また、訪れてみたいです。

 

(廃墟の場所を明記するのは好ましくないかもしれませんが、Googleで検索すると普通に表示されるため、貼付しています。)

※廃墟にはさまざまな危険があります。訪問する際は、自己責任でお願いします。

(訪問日:2012年9月24日)

 

八幡平市松尾鉱山資料館では、松尾鉱山に関する資料が保存・展示されています。

 ⇒ Webサイト

なお、閉山から50年近く経った今でも、鉱山跡からは、環境に悪影響を及ぼす坑廃水の流出が続いており、JOGMECによる中和施設が24時間体制で稼働しているといいます。その費用は年間数億円規模。色々と考えさせられるものがありますね。

 

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