訪れたことはなくとも、その名を知る人は多いでしょう。
かつては炭鉱の町としても栄えました。
しかし、現在は別の理由から有名になっています。
「財政破綻した市」
街並みを歩くと、どこもかしこも廃墟だらけ。
人の姿が見えません。
夕張市の”歴史”と振り返りながら、”今”を覗いてみました。
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夕張市の栄枯盛衰をなぞる
夕張市は、北海道の空知地方に位置しています。
明治初期から炭鉱の町として栄えました。
日本有数の産炭地として発展し、1960年には最多人口116,908人を記録しています。
しかし時代の趨勢には逆らえません。
石油へのエネルギー転換に伴い、国内の石炭産業は衰退の一途を辿ります。
夕張市とて例外ではありませんでした。
夕張市の炭鉱は次々と閉山。
1990年、最後の三菱南大夕張炭鉱が閉山すると、夕張市から炭鉱は完全になくなりました。
「炭鉱から観光へ」をテーマに、夕張市は新たに舵を切りました。
1980年代には、大型のテーマパークやスキー場を次々と開設し、映画祭などのイベントも開催。
しかし、バブル崩壊による景気低迷などの煽りを受け、観光へのシフトもうまくいきませんでした。
気付けば、莫大な投資に対する赤字のみが残りました。
その後、夕張市は再起を図ろうともがきますが、負債は膨れ上がる一方でした。
たかのように思えましたが、10年以上経った今でも、その道のりは険しいままです。
人口減少と行政サービス低下、負のスパイラル
止まらない人口減少。
再建を担うはずの市役所の職員も大幅に削減されました。給料も大幅にカット。
しかし人口が減ったからといって仕事まで減るわけではありません。
少ない職員で回さなくてはならなくなり、一人あたりの業務量は増大しました。
しかし給料は上がるどころか下がっていきます。次々と辞めていく職員。
やる気と熱意だけではどうしようもない「耐えられない現実」がそこにはありました。
さらに、借金返済のため、行政サービスはますます低下しました。
小中学校は統廃合が進み、図書館や美術館は廃止され、公園も整備されなくなりました。
税金は上がる一方で、下水道料金は東京23区の2倍に。まさに負のスパイラルです。
とはいえ、この10年以上で、夕張市は100億円以上の借金を返済しています。
夕張市のWebサイトでは、「借金時計」という半ば自虐的なページを設け、これまでの返済額や現在の借金残高をリアルタイムで表示しています。
それによると、再生振替特例債償還終了年月は2027年3月。
返済が進めば、町の再生に使用できる予算も徐々に増えていくでしょう。
果たして、夕張市の未来は……。
誰もいない町
全く人とすれ違いません。
2019年8月31日現在、夕張市の人口は7,939人です。最盛期の人口のわずか7%です。
夕張市の人口について近況を補足。
2013年6月、人口が1万人を割れました。
2017年5月、65歳以上の人口比率が50%を越え、日本の市では初の限界自治体に。
2019年5月、人口が8,000人を割れました。
現在、市内のいくつもの集落が人口0人の消滅集落となっています。
在りし日の繁栄を物語るかのような看板。
この中で、今も営業を続けているお店は……果たして?
朽ちつつある木造建築。こうした建物が多く目につきます。
人が住んでいるのかよく分からない、空き家っぽい感じの住宅ばかり。
落雷注意の札が貼ってありました。
猫がいました。
道路の真ん中で思いっきり寝転んでいましたが、轢かれることもないのでしょう。
夕張市の猫人口は少なくとも1匹以上であることを確認!
どこもかしこも廃墟
町中廃墟だらけの夕張市。
こちらは石炭の歴史村というテーマパークですが、現在はほぼ廃墟化しています。
同敷地内の夕張市石炭博物館だけが営業中です(2018年4月にリニューアルオープン)。
⇒ 夕張市石炭博物館
マスコットキャラクターのゆうちゃんがお出迎え。
笑顔がとても眩しいですね。なんだか悲しいですわ。
かつて、アドベンチャー・ファミリーという遊園地がありました。
写真のD51はその残骸です。青空の下、放置されています。
こちらはゆうばり本町キネマ街道。
かつて夕張市が町おこしの一つに選んだのが「映画」でした。
1991年、第1回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭が開催されました。
余談ですが、第4回の映画祭では、クエンティン・タランティーノが招待客として招かれました。
彼の作品「キル・ビル」で栗山千明演じる殺し屋”GOGO夕張”の名前は、本映画祭に由来しているそうです。
ちなみにタランティーノの作品では、私は「イングロリアス・バスターズ」が一番好きですねぇ。
(新作「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」も良かったです。)
顔のない二人。まるで、誰もいない今の夕張市を示唆しているかのようです。
市民ホールです。入口はベニヤ板で塞がれています。
こんなに廃墟感のある市民ホール、ありますかね?
看板は色褪せても不朽の名作。
サイレント夕張市。
夕張小学校です。
2011年、夕張市内の6つの小学校が1校に統合されるのを機に、閉校となりました。
自動車教習所の廃墟です。
めちゃくちゃ変形しています。
豪雪地帯の廃墟は、雪の重みで朽ちるのが早い説ありますね。
在りし日のJR夕張駅。
2019年4月、夕張支線廃止に伴い、廃止されました。
(この写真は、現役時のものです。)
おまけ:三菱大夕張鉄道保存車両(南大夕張駅跡)
かつて、三菱石炭鉱業大夕張鉄道線という鉄道路線がありました。
営業キロ17.2kmの路線により、清水沢駅と大夕張炭山駅が結ばれていました。
石炭産業の衰退に伴い、1987年に廃止されました。
当時、実際に使用されていた客車、ラッセル車、石炭車が、かつての南大夕張駅跡地に保存展示されています。
時代を感じさせるデザイン。
かわいくて好きだな。
ホームに上ってみました。
豪雪地帯をずんずん進む、ラッセル車の力強いフォルムがお出迎え。
今にも走り出しそうな気配がむんむんです。
客車。なかなかきれいな状態です。
手入れが行き届いている模様。
雨風しのげる休憩スペースがありました。
意外と居心地良いかも。
三菱大夕張鉄道保存会からのメッセージ。
こうして内部まで見学させてもらえるのは嬉しいですね。
招き猫氏よ、夕張の地に福を招き入れておくれ。
さて……そろそろ太陽が落ちます。夕張の地を後にしましょう。
以上、夕張探訪でした。いかがでしたでしょうか。
街並みの写真と共に、夕張市の栄枯盛衰を振り返りました。
石炭産業の衰退後、生き残ろうともがき続けた夕張市の姿がそこにはありました。
令和の時代、北の大地の寂れ果てた町に再び春は訪れるのでしょうか。
歩き回ったのはこの辺りです。
2~3km北上すると、石炭の歴史村や石炭博物館があります。
おまけで紹介した南大夕張駅跡地は、夕張市街から約17km離れた場所にあります。
車で約20分です。
また夕張市には、山田洋次監督「幸福の黄色いハンカチ」のロケ地として有名な幸福の黄色いハンカチ想い出ひろばがあります。
なお、記事中でいくつか廃墟をさらっと紹介していますが、内部の写真もそこそこ撮っています。
需要がありそうなら、アップしたいと思います。乞うご期待。
(訪問日:2016年10月)
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