その衝撃的なニュースは突然飛び込んできました。
2019年10月31日未明、首里城で火災が発生。
火は11時間にもわたり燃え続け、正殿と北殿、南殿が全焼しました。
文化財も400点以上が焼失したといいます。
マジかよ……。
半年前、フランス・パリでは、ノートルダム大聖堂が火災に遭いました。
文化遺産が火災で失われるのは悲しいものです。
今回は、復興を願いつつ、在りし日の首里城の姿を改めて見てみたいと思います。
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これから紹介する写真は、2015年3月と2019年2月のものが入り混じっています。
「守礼門」から始まる首里城訪問
正面からアプローチすると、まず最初に現れるのがこの「守礼門(しゅれいもん)」。
尚清王時代(1527~1555)に創建されました。
掲げられている「守礼之邦」は「琉球は礼節を重んずる国である」という意味です。
なお、この守礼門は幸いにも焼失を免れました。
さて、それでは入口から城郭内部に進んでいきましょう。
やはり、本土の城とは違った感じの造りですね。
両側に鎮座するシーサーは、魔除けの意味を持ちます。
世界遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」に登録
歩幅の合わない緩やかな階段を上っていきましょう。
さて、ここで首里城の概要を簡単にご紹介します。
2000年12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として、世界遺産に登録されました。
首里城は、琉球王国の政治・文化・外交の中心にして同王国最大の建築物でした。
14世紀頃に創建されたと言われていますが、正確な年代は不明です。
沖縄戦で焼失しましたが、1992年11月に正殿をはじめ一部が復元され、首里城公園が開園しました。
その後も再建は続けられ、2019年1月に約30年にわたる復元工事が完了したばかりでした。
その矢先の今回の火災。
那覇の街並み。
沖縄の建物は、特徴的な造りをしていますよね。
「瑞泉門(ずいせんもん)」です。
瑞泉とは「立派なめでたい泉」という意味です。
門の手前右手には「龍樋(りゅうひ)」と呼ばれる湧水が湧き出しています。
瑞泉門をくぐるとまた次の門が。
「漏刻門(ろうこくもん)」です。
名前は、櫓の中の水時計で時間を測ったことに由来します。
(漏刻は、中国語で水時計を意味するようです。)
ここまで来ると高さもなかなか。遠くには海も見えます。
ちょっとした空間に出ました。
写真右手にはまた門。「広福門(こうふくもん)」です。
広福門の先に現れるのは、「首里森御嶽(すいむいうたき)」と呼ばれる礼拝所です。
「神が作られた聖地」とされています。
なお、この空間は、「下之御庭(しちゃぬうなー)」と呼ばれ、「(正殿のある御庭(うなー)に対する)下の庭」を意味しています。
さて、いくつも門をくぐって来ましたが、これが正殿に至る最後の門です。
「奉神門(ほうしんもん)」と呼ばれ、3つの入口があります。中央の門は、国王や身分の高い人だけが通行できました。
なお、この先が有料区域で、ここまでは無料で来ることができます。
首里城のメイン「正殿」に到着!
さて、やって来ました、首里城見学のメイン「正殿」です!
琉球王国最大の木造建造物です。
中国の様式を取り入れた和漢折衷に、琉球独自の様式が見られるのが特徴。
別アングルでもう一枚。
この広場は、「御庭(うなー)」と呼ばれ、年間を通じて様々な儀式が行われました。
内部を見学しましょう。写真は1階。
1階は「下庫理(しちゃぐい)」と呼ばれ、国王により政治や儀式が執り行われました。
中央の部分は「御差床(うさすか)」と呼ばれる、国王の玉座です。
2階です。2階は、「大庫理(うふぐい)」と呼ばれ、王妃や身分の高い女官たちが使用した空間でした。
1階と同様に、中央には国王の玉座である「御差床(うさすか)」があります。
なお、3階は風通しをよくするための屋根裏部屋でした。
首里城の模型。美しい木造建築の骨格が露わになっていました。
木造ゆえ、ノートルダム大聖堂のように全焼を免れることは叶いませんでした。
正殿を背後から。ここも広場っぽい感じになっていますね。
「後之御庭(くしぬうなー)」と呼ばれます。
ちなみに内部には多くの展示品がありましたが、撮影禁止だったため、本記事での紹介はなしです。。
正殿の奥に進んで行きましょう。
ここから先は、2015年に訪れたときは、まだ工事中だったような記憶があります。
復元が完了したばかりの「東のアザナ」エリア
「東のアザナ」は、城の東側に築かれた物見台で、標高約140mに位置しています。
この辺りは、2019年を過ぎて復元が完了したばかり。
振り返れば、正殿が見えます。
かつての琉球王国でも、同じような景色が見えたのでしょう。
少しどんよりしているのは、2月だからでしょうか。
夏には、鮮やかな青空が頭上を覆うのでしょう。
「寝廟殿(しんびょうでん)」です。
国王が亡くなった際、一時的に亡骸を安置する場所でした。
「御内原ノマモノ内ノ御嶽(うたき)」と呼ばれる場所です。
祭祀などを行う聖域でした。
「北殿(ほくでん)」と呼ばれる建物の中、ミニチュアで再現された首里城と儀式の様子。
ミニチュア大好きマン。
再び無料区域~首里城公園
正殿周辺の見学を終えると、再び無料区域になります。
この辺りは公園として整備されていました。いいですねぇ。
洞窟的なものがありました。「寄内ノ御嶽(よせうちのうたき)」と呼ばれる聖域です。
城郭を肴にビール、いや泡盛が飲みたいですなぁ。
「淑順門(しゅくじゅんもん)」と呼ばれる門と、その前に佇む一組の老夫婦。
たまたま同じアングルで撮っていた、 4年の時を隔てた二枚の写真。
左が2015年3月、右が2019年2月です。
看板のデザインが変わっていますね。
ちなみに右手に写っている門は、「久慶門(きゅうけいもん)」と呼ばれています。
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」はいくつもの史跡により構成されています。
追って、記事を書いていきたいと思います。乞うご期待!
最後に、人が写り込まない状態で撮ることのできた一枚を。
また、必ず見に行きます。
首里城を訪れる際は、必ず公式Webサイト等で開園情報をチェックしてください。
11/12(火)現在、有料・無料問わず、ほとんどのエリアが立入禁止となっています。
(守礼門は、訪れることができるほぼ唯一のエリアです。あとはレストハウス等。)
また那覇市は、首里城火災に対する支援金を受け付けています(あえてリンクは貼りません。支援したいという方は、ぜひ検索を!)。
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